其の壱


薄暗い…薄暗い森の奥深く……僅かに差し込む月明かりが無ければ、足元さえも覚束ない。
そんな人里離れた森の奥に、その沼はあった。
昼間でさえ人が寄り付くことの無いその沼は、水面に波紋ひとつ立てずただじっと静まり返っている。
辺りには虫の声すら無く、時折り吹く湿った風が微かに木々の枝を揺らす音が聞こえるのみである。

その沼の畔に、一人の男が立っていた。村一番の力自慢と評されるその男は、しばし険しい表情で
沼を睨みつけていたが、口元を引き締めると徐に着ている物を脱ぎ始めた。
簡素な帯を解き、筋骨逞しい肉体を申し訳程度に覆っていた薄汚れた着物を脱ぎ捨てる。続いて汗が
染み込んだ白い褌に手を掛けると、それも手際よく解き一糸纏わぬ素裸となった。
男は知っていた。水の中において、水分を吸収した衣服は己の動きを鈍らせる事を。
まだ夏には早い季節の真夜中ではあるが、男の屈強な肉体にはじっとりと汗が浮かび、盛り上がった
胸板を覆っている胸毛が月明かりに照らされ光って見える。
隠すことなく晒された男根は、亀頭の先まで厚い包皮が被っているものの決して縮こまってはおらず、
重量感のある睾丸と共にふてぶてしく垂れ下がっている。

仁王立ちで沼を睨みつけていた男は、足元に置いてあった二又の銛を手に取ると意を決したように
一歩一歩沼へと入っていった。

「息子の…ダイキの敵だっ………化物め…っ!」

男の名はダイサク。毎年行われる奉納相撲では常に勝者となり、近隣の村々でこの男に敵う者無しと
謳われる、力自慢の樵夫(きこり)である。
病弱だった女房のユノが、その命と引き換えにこの世に残した忘れ形見、一人息子のダイキとともに、
山間の村で真っ当に暮らしていた。
そんなある日、突然の悲劇がダイサクを襲った。
息子のダイキが夜になっても家に戻らず、翌日…変わり果てた姿で発見されたのである。
………この沼の畔で。
ダイキの亡骸には血がほとんど残っておらず、村長は、これは隣村でも例のある「奇病」だという。
しかし、ダイサクは確信していた。息子は化物に殺されたのだと。
何故ならダイキが行方不明になる前、興奮した様子で話していたからである。
『父ちゃん!オイラ、森の奥の沼で、でっかい魚を見たんだ!』…と。
ダイサクは話半分に聞きながら、あの辺りは危ないから近づいては駄目だ、と注意だけしておいた。
(俺が…俺がもっと、あいつの話を聞いていれば…俺があいつをちゃんと見てやっていれば……っ)
ダイサクは自責の念に駆られた。
息子の敵を討つ為、これ以上不幸な者を出さない為にと、ダイサクは村人達と共に化物退治に赴こう
とした。しかし、村の人間達は皆、化物の存在を信じようとはしなかった。

「確かに気味の悪い沼じゃが、化物が棲んどるなどと…。」
「村長さんが、あれは変わった病だと言うとったし…。」

結局誰も賛同する者は無く、ダイサクは一人、夜中の沼へとやって来たのである。


ジャバ……ジャバッ………
辺りには、ダイサクが沼の中を歩く音だけが響いている。
いまだ水面はダイサクの膝辺りまでだが、澱んだ沼の中は底がまったく見えず、一歩先からは急激に
深くなっているやも知れない。ダイサクは足の裏で底面を確かめるように、慎重に歩を進めていった。

………ブクッ……

「む…っ!?」

突如、沼の中心部の水面に気泡が一つ浮かんだ。ダイサクは歩みを止め、鋭い眼光でその一点を
睨みつける。

…ブクッ…ブクブクッ……ブク…ブクッ…

気泡は次第に数を増していく。
無精髭の生え揃った厳つい顔にじっとりと汗を浮かべたダイサクは、銛を握る手に力を込め、全身の
筋肉を緊張させながら身構えた。
………一瞬の静寂の後。

ザッバァァァァァンッ!!

水面に大きな黒い影が映った次の瞬間、間髪を入れずにそれは姿を現した。巨大な魚…鯰……いや、
どちらも当てはまらない。目や口の配置が出鱈目なのだ。
ダイサクと対峙する恐らくは正面と思われる向きには、青白い目玉のような物が二つ、不気味に光って
いる。その頭頂部には、閉じてはいるが巨大な「口」と思われる部分が見てとれる。
全身を滑々とした黒い表面で覆われた巨体からは、四本…五本…もっとであろうか、獲物を絡め捕ろう
とするかのように不気味な触手が蠢いていた。

「出たなっ!…化物めっ!!」

人外の存在…異形の化物を目の当たりにして、しかしダイサクは微塵も臆することなく銛を構えた右腕を
振り上げた。その二の腕には見事な力瘤が作られ、続く腋の下には汗に塗れた腋毛が光っている。
復讐に燃える闘う男の匂いを放ちながら、ダイサクは化物を目掛けて突進していった。


「うおおおおおおぉぉぉぉぉーーーーっ!!」

…シュルッ!
ガクンッ!

「うぉっ!?…な、なにっ!」

突然ダイサクは足元で動きを封じられた。水面下で動いていた一本の触手が、ダイサクの左足首に絡み
ついたのだ。

「う、うわああああぁぁぁーーっ!!」

触手はそのままダイサクを高々と持ち上げると、沼の畔の地面へと叩き付けた。

「ぐわあぁぁっ!!………ぐ……うぅ…っ!」

正面からしたたかに地面に叩き付けられたダイサク。この衝撃で、二又の銛はダイサクの手を離れ、前方
の繁みの中へと転がっていった。

「し、しまった!…くそっ…!」

全身に走る痛みに耐え、なんとか銛を取り戻そうとダイサクは繁みに向かって必死に這っていく。
しかしあと一歩というところで、左足首に巻きついた触手がダイサクを沼へと引き戻す。

…ズザァァァァァァァァッ!

「があぁっ!!………ぐぉ…っ!」

それでもダイサクは諦めることなく、四肢に力を込め、這い蹲りながら再度繁みに向かう。しかし…やはり
あと寸での所で、沼の方へと引き戻されてしまうのである。
その度に、胸毛に覆われた分厚い胸板や適度に脂肪がのった逞しい腹、包皮を被った太い男根などが
地面と擦れ合い、所々に血を滲ませていた。

ヒュンッ……ビシイィッ!!

「ぐおぉっ…!!」

そんなダイサクの巌の如き背中に向かって、別の触手が鞭のように打ち付けられた。
逞しく盛り上がった肩に、背中に、尻に、太腿に…何度も何度も打ち付けられる。
ダイサクは地面を指で掻き、全身をぴくぴくと痙攣させながら、ただひたすら耐えることしか出来なかった。

しかし、触手による鞭攻撃はそれだけでは留まらなかった。今度はダイサクの両手両脚に絡みつき、もがく
体を仰向けにさせて地面に押さえつけた。沼の中心部から岸辺まで近づいて来ていた化物に見下ろされ
ながら、ダイサクは無理矢理四肢を開かされ、急所まで丸出しの格好で晒される形となった。

「くぅっ…畜生っ!!…放せっ!放さんかぁっ!!」

怒鳴り散らすダイサクをよそに、化物は鋭い唸り音をたてながら触手を振り下ろしてきた。

「があぁっ!!…ぐっ!……くぐぅ…っ……ぐわあぁっ!!」

いつ果てるとも知れぬ鞭攻撃…。あまりの激痛に、ダイサクの意識は遠のき始めた。瞼を閉じると、幼くして
命を失くした一人息子の顔が浮かぶ…。

(…ダイキ………俺は……俺は………)

ふとダイサクは、浮遊感に襲われた。ハッと意識を取り戻すと、なんと四本の触手によって、化物の頭上へ
高々と掲げられていたのだ。

「なっ!?…畜生っ!化物めっ!…俺をどうするつもりだ!?」

その問いに答えるように、一本の触手がダイサクの肉体に伸びてきた。

「!?…くっ!」

化物の頭上で大の字に掲げられながらも、全身の筋肉に力を込め身構える。
するとその触手は、あろうことかダイサクの男根に絡みつき、包皮ごと上下に扱き始めたのだ。

「うおっ!な、なにしやがるっ!?…やめろぉっ!化物め!やめんかぁっ!!」

予期せぬ事態に、ダイサクは身を捩りながら怒鳴った。しかし化物は、その行為をやめるどころか更に触手を
増やしていった。
まず二本の触手がダイサクの左右の乳首を舐り始めた。別の触手は胸板から筋肉の溝を伝い、汗まみれの
腋の下を責め始める。滑りのある表面で覆われた触手の先端が擦りつけられると、ダイサクは嫌悪感とともに
今まで感じたことの無い感覚に苛まれた。

「くっ…うぉっ!…はぁ、はぁ……やめ、ろ…んぉっ…!」

女房に先立たれた後は、自らで己の一物を慰めることしか知らないダイサクにとって、この刺激から逃れる
ことは困難であった。
憎き化物によって辱められているにも関わらず、その男根は徐々に硬さを増していき、有り余る精力はその
捌け口を求めて猛り始めた。

「う、うむぅ…っ…こんな、化物の手に掛かって…精を放つ、など…くはぁっ!」

剛毅なダイサクにとって、耐え難い屈辱であった。
しかし、どんなに堪えようとしても、触手による責めから逃れる術はない…。
やがて男根が完全に反り返り、包皮に覆われていた亀頭が剥けきると、ダイサクは絶頂をむかえた。

「う、う、うぉ…うむぅぅぅぅぅぅぅぅぅーーーっ!!」

ビッ!ドビッ!!…ビュッ、ビシュゥゥゥーーーーッ!!

溜まりに溜まっていた大量の精が放たれ、化物の頭上に降り注ぐ。
すると化物は、その頭頂部にある巨大な口を大きく開け、ダイサクから放たれた精を取りこぼすことなく飲み
込んだのである。

「!?…な、なにっ…?…はぁ、はぁ…はぁ…っ。」

精を搾り取られ、息を荒くしたダイサクが驚いていると、突然森の奥から一陣の風が吹いてきた。

…ギュルルルルルル………ッ…
ズバアァァァ………ッ!!

風…それは大きな「何か」が回転しながら飛んできたものだった。
その風はダイサクを掲げていた四本の触手を一瞬で切断すると、再び森の奥へと消えていった。

「うわああああぁぁぁぁぁーーーーっ!!」

触手から解放されたダイサクは、そのまま沼へと落ちていき、全身を襲う痛みに耐えながら必死に岸まで
辿り着いた。

「はっ…はぁっ…はぁっ………はぁ…っ。」

やっとの思いで沼から這い上がり、手足を投げ出して地面に大の字に横たわるダイサク。
荒い息を整えながら、顔をあげ化物の方に目をやると…。

ブオォォォォォォッ……ブオォォォォォッ………!

化物は、どんな動物にも例え様の無い唸り声を上げ、切断された触手を蠢かせながら沼の中へと沈んで
いった。

「…はぁ、はぁっ………や、やったのか…?」

「まだだよ。」

「…っ!?」

ひとり呟いたダイサクの声に、突然返された答え。
驚いたダイサクが顔を横に向けると、いつの間に近づいてきたのか、そこには一人の幼い少年が立っていた。

(!?…ダイキっ………いや…。)

ふっくらとしたあどけない顔立ちの少年は、確かに死んだ息子と同じぐらいの年頃に見える。
しかし、その髪は夕焼けのような橙色をしており、耳は上に向かって尖っている。自分の背丈より何倍も大きな
三角形の石を軽々と抱えたその姿は、この少年が普通の人間ではないことを物語っていた。

「………小鬼か…。」
「違わいっ!オイラの名前はフウタ。こう見えてもれっきとした風の精霊だい!」
「風の…精霊……?…そうか!さっきの風は、お前が………ぐぅっ!」

そう言って身を起こそうとしたダイサクは、全身を走る痛みに呻いた。

「大丈夫かい?おっちゃん。無理はしない方がいいぜっ。」
「…うるせぇ……っ!俺は…俺は、あいつに、とどめを……っ!」

生意気な口ぶりで嗜めるフウタに苛立ちながら、ダイサクは何とか起き上がろうとする。しかし、いかに村一番の
剛力と謳われたダイサクでも、化物によって散々嬲り者にされた肉体は思うように動かない。

傷だらけの逞しい肉体を晒して横たわるダイサクを見下ろしながら、不意にフウタが口を開いた。

「おっちゃん…あの化物を退治したいんなら、オイラが手伝ってやろうか?」


つづく

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